コラム

君たちはどう生きるか

こんにちは。シェイクの吉田です。

1937年に出版された「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)の漫画版が
発売4カ月にして、100万部を突破したとのことです。

私も読んでみたのですが、生きることに関する深いメッセージが
散りばめられていました。
例えば、主人公コペル君の叔父さんの言葉で、

「自分の過ちを認めることはつらい。しかし過ちをつらく
感じるという事の中に人間の立派さもあるのだ」など。

小学6年生の私の息子にも読ませてみたところ「面白かった」との感想。
「コペル君に共感することが多かった」と言っていました。

子供の日々の生活の中にも、友達を傷つけてしまうなど、
悩んだり、迷ったりしているからこそ共感するところがあったのだと思います。

今、なぜ、この本がこれだけ売れているのでしょうか?

「じぶん・この不思議な存在」(鷲田清一著)にこのような一文があります。

『胃の存在はふだんは「意識」しない。その存在は「故障」して
はじめて意識する。同じように「わたしは誰?」という問いは、
たぶん「わたし」の存在が衰弱したときにはじめて際立ってくる』

今、この本の注目度が増しているのは、「生きる」という事に対する
不安が増してきているからかもしれません。

これまで約15年間、人材育成の仕事に携わり、何万人もの社会人と
お会いしてきましたが、「自分たちはどう生きるのか」という事と
向き合っている人は多くなかったと感じます。

同期同士で、そのようなことを話題にしたくらいなら、
「そんな真面目な話をして・・」と馬鹿にされる事が
多かったのではないかと思います。

一方で、ここ1~2年においては、少しずつ「どう生きるのか」とか、
「何のために働くのか」といったことを話す人が増えてきたようにも感じます。

このような根源的な問いについて考えたり、話したりする機会や環境が
増えてきているのかもしれません。

人生100年時代。小6の息子においては、平均寿命は100歳を超えていると
言われています。
残り90年の人生。どんな時代が待ち受けているのでしょうか。

これからの時代、誰も、自分の人生の方向性を決めてくれません。

人に言われたとおり、レールに乗った人生を歩んでも、
幸せな人生を送れるとは限りません。

将来が予測できない不透明な時代だからこそ、
自分自身の地図を持ち、自分の意志を持って、生きていくことが
益々、求められるでしょう。

真剣に「生きる」と向き合うこと。

依存せずに、自分の人生に責任を持って生きることを決めたとき、
自分らしく力強い人生が立ち現れるのだと思います。

「君はどう生きるの?」
「自分はこんな風に生きたい」

このような会話が、恥ずかしげもなく交わされる
世の中が近づいているのかもしれません。

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