子育てしながら、
仕事でもチャレンジし続ける楽しさ。
今後のキャリアイメージ。
2019入社(新卒)×2009入社(中途)クロストーク
profile
- 水口 礼子(2019年新卒入社)
- 大学時代は、グローバル・リーダーシップ・プログラムを受講し、リーダーシップ教育を学ぶ傍ら、社会心理学の研究にも取り組んだ。シェイク入社後は、新卒ミッションとして新サービスの企画を行った。現在は主に新人・若手向けの研修開発を担当している。また、大学生向けのキャリア教育事業にも、メンターとして携わっている。
- 飯島 智子(2009年中途入社)
- 大学卒業後、心理テストや教育教材の出版社で、進路指導用教材や適性検査の研究開発に携わる。2009年、シェイク入社。組織サーベイの企画開発やデータ分析、各階層の研修コンテンツなどの商品開発に従事。シェイク入社後、双子を含む3人を出産し、育休を2回取得。2017年2月に復帰。現在はHuman Resource Consulting部門長として、顧客への本質的な価値提供を追求し続けている。
シェイクには今期、3人の子どもを育て時短で働く部門長が2名誕生しました。
今回は、そのうちの1人である飯島に、19年度新卒の水口がこれまでのキャリアや子育てと仕事の両立、今後チャレンジしたいことについてインタビューしました。
将来のイメージがつかなかった20代
やりがいだけではないのが仕事かと思いますが、当時を振り返ってしんどかったことを教えてください。
水口:飯島さんは今3人のお子さんを育てながら部門長を務められていますが、20代の頃からこういったライフプランを考えていたのでしょうか?
飯島:全く考えていませんでした(笑) 20代は前職の教育系出版社で過ごしたのですが、その会社は産休・育休を使う人がいないどころか、結婚して子どもがいる方もほとんどいなかったので、自分が結婚して子どもを持つことをあまり想像できなかったんです。
水口:シェイクとは全く違う環境だったんですね。ちなみに、転職を決めたのはなぜですか?
飯島:自分がこの先その会社でどうなるか、どうしたいかがイメージができなかった、ということが大きかったと思います。前職では、基本的には新卒5年で主任、その後係長までは自動で昇進でき、そこから先はポストが空いたら、という感じでした。当時、特殊な出版物を担当し、後輩もいなければ、自身の実力も分からない中で、一定期間が経ったから昇進というのは意味がないし、そのようなキャリアを求めていないと思って転職しました。他に、出版社の仕事はユーザーが見えないので、自分の仕事の効果が見えにくかったり、同じ出版物を担当し続けていて成長が止まったような感覚を持ったりしたことも、理由の一つです。
出産の「目標」を決めた30代
水口:先程、20代の頃は結婚して子どもを持つことが想像できなかった、と伺いましたが、子どもを持とうと思ったきっかけなどはあるのでしょうか?
飯島:30歳頃にシェイクに転職したり、病気で手術をしたりして、改めてライフプランを考えたと思います。その中で、35歳までに子どもができたら産もう、できなかったら子どもがいない人生にしようと決めて、結婚もしました。
水口:そうだったんですね。はっきりと決めるところが、飯島さんらしいですね。
飯島:今思うと、出産についても仕事と同じように目標を決めて、そこに向かって進んでいったのだと思います
シェイクは「ちょうどよい居場所」を用意してくれた
水口:その後双子の女の子と、男の子の3人のお子さんを出産されたと思いますが、実際に産休・育休を使ったり、子育てしながら働く中で感じられていることを教えていただけますか?
飯島:シェイクは、育休や時短などの制度が整っていることはもちろんですが、子どもの病気で急に休むときなどにも、お互いさまの精神で接してくれて、罪悪感を感じにくいのがありがたいですね。前職でも制度はありましたが、使える空気ではありませんでしたから。私自身も、育休から復帰して働く中で、「時短でみんなに迷惑をかけている」と考えるのを辞め、「子どもがいるいないにかかわらず人にはそれぞれ制約があるから、やれる範囲でしっかりやろう」と考えるようになりました。
水口:働きやすさには、制度だけではなく風土が重要ですよね。それでも、産休・育休でブランクが空くのは大変だったかと思うのですが、飯島さんはどうやって乗り越えられましたか?
飯島:私自身の努力と、シェイクのメンバーが支えてくれた点の両方の要素があります。私自身の努力としては、一つは子どもを産む前に人材育成という仕事のおいて自信をつけたことですね。転職したばかりのころは自信もなくて、実際にアウトプットレベルも高くなかったと思いますが、、そこから必死で学び、商品開発に関しては大きな自信を得たので、制約のある人材であっても会社やメンバーに必要とされていると思うことができたと思います。もう一つは、育児休暇を変化のタイミングととらえ、復帰前の自身の課題を振り返り、行動を変えました。子どもを産んだからこそ、次の変化・成長につながったという感覚が自分にありました。
シェイクのメンバーが支えてくれた点は、本当に色々ありますが、まとめると「ちょうどよい居場所を用意してくれた」ことだと思います。特に、第一子・第二子の育休から戻って来た後、すぐに第三子の妊娠が判明して、復帰9ヶ月でまた産休に、という状況になったのですが、当時の上司も嫌な顔一つせず、チームの中で価値発揮できるような役割を用意してくれて本当にありがたかったですね。配慮はありますが、子育て中なので楽な仕事、というわけでもなく、いい意味でストレッチな仕事を渡してくれる。だから、もっと頑張ろうと思えるんですよね。
子育てしながらも、どんどん変化していく
水口:シェイクでは部門長、リーダーといったマネジメントを担う役割は今期は立候補制を取りましたが、飯島さんが部門長に立候補されたのは何か心境の変化があったからなのでしょうか?
飯島:元々、子どもが3歳になるまでは家族第一で、負担をかけすぎないように働こうと思っていて、ちょうど今期から仕事に少し比重を戻そうというタイミングでした。会社を動かす立場に立つということを今まで避けてきたので、このタイミングでやってみようと思ってチャレンジしました。
水口:5ヶ月間部門長を務められて、どんな変化がありましたか?
飯島:これまでずっとプログラム開発を中心とした仕事をしてきたので、今期は売上に責任を持ったり、「営業」として顧客前にも出たり、変化だらけです。開発の一メンバーであるときは、ここまで真剣に売上や利益について考えることはなかったし、会社の今後の方向性、戦略に関しても、考える機会はありましたが、終始そういうことを考えているというのは、やはり今期の変化だと思います。
「仕事を楽しむ」が当たり前の世の中にしたい
水口:最後に、今後のキャリアイメージを教えてください。
飯島:今後1~2年くらいは、シェイクを創ることに関わっていきたいと思っています。長期的には、元々50歳になったらリタイアして、子どものリーダーシップ開発などにボランティア的な形でもよいから関わりたいと気軽に考えていました。、それは、子どもの教育費の関係でもう少し先になりそうですが(笑) シェイクでは労働時間の1割を自己実現・自己研鑽に使うことが推奨されています(以下、「1」の時間)が、当面は「1」の時間を使って、そういった活動にもチャレンジしていきたいと思っています。
水口:部門長としてお忙しい中、「1」の活動も積極的にされていますよね。お子さんが働くモチベーションになっていたりするのでしょうか?
飯島:あまり関係ないかもしれません。実家が自営業で、小さいころから親の仕事を間近で見てきて、今でも「仕事に対してはプライドと喜びを持つべき」という考えを持っています。子育てしながら働くのはしんどい部分もありますが、やるなら楽しい仕事、好きな仕事をちゃんと続けたいですね。あと、モチベーションとはまた別ですが、子どもたちにも将来「仕事は楽しい」と感じてほしいので、シェイクで働くことを通じて、楽しく働く人、イキイキと働く人を増やして、子どもたちが大きくなったころ、そういう仕事の捉え方が当たり前の社会を作っていきたいです。
Writer後記
飯島の話から、制約の中で働く人に対しても配慮はしても遠慮はしない、シェイクのフラットな組織風土を感じていただけたのではないでしょうか。シェイク自身が多様性を大切にし学び続けることは勿論、様々な人がイキイキと働く組織が増えていくよう、貢献していければと思います。
- Writer
佐々木 春希 2019年新卒入社 - 大学時代は、NPO法人Learning for All(LFA)で活動。同団体が運営する都内の教室で学習支援ボランティアを経験した後、2017年3月より約2年間、インターンシップ生として学生ボランティアの採用業務に従事。説明会の運営からSNS広告の配信まで、幅広く携わった。シェイク入社後も、継続してLFAにコミットしている。